お元気ですか たもがみ節子です

母と子の幸せ願って50年、安心して住める町づくりに全力で頑張ります

2010年02月11日(木)

ゆずの木保育園 園舎建て替えに思う そのV [保育問題]

画像(180x135)・拡大画像(640x480)

保護者のみなさん 地域のみなさんに信頼される保育所を目指して毎日夢中で保育をしました。
 第一番に心がけたことは、預かったお子さんが「保育園に入園して良くなった」と保護者のみなさんに実感してもらうことです。
 それには子どもの発達について勉強しなければなりません。預かると言う事は丸ごと生活を保障することです。食べること、着ること、遊ぶこと等々、それも思いつきなどでないしっかりとした理論に裏付けられるものでなければならないことーーー。みんなで10年かけて教育者の元祖、エミール(250年も前の人)から学び合いました。
 埼玉大学の清水先生の解説を受け、自分達の具体的保育を結びつけていきました。例えば「身体を自由に発達させるには、下着は木綿で締め付けたりしないもの」また、自然が大きな先生であること、食事もその物の主題を生かしやたらに味を加えないこと、幼ければ幼いほど本物に触れさせること、食も文化もーーー。そして身体を通しとて体験し得たことは身についてゆくこと、また五感を鍛えるのは6才までで、ここを鍛えることは、生きてゆく土台になる、根っこの部分を育てることになること等々で新しい発見や、また自分達の保育の再確認をすることになりました。そして子どもを育てる大人(保育士)の感性が問われることなどーーー。
 自分を磨き鍛えることを忘れないようにと、演劇、美術等の文化にも触れるよう努力しました。また物事の考え方(哲学)を学び、働くことについて労働学校で学びました。

 第二に心がけたことは、「保育園は子どもが主人公」子どもたちのため最善を尽くすこと、手間とヒマとお金がかかるのが子育てであることを忘れないようにーーーと、一年中素足で走りまわれるための桧板張りの床は、トイレまで続いています。新陳代謝の大きい乳児室は天井も高く、朝の日光が一番入る部屋であること等々。家庭環境がどうであれ、保育園では平等に良い環境を用意するようにし、アトピイのひどい子、夜なかなか寝ない子、風引きやすい子などがどんどん元気になってゆきました。
 そして保育士も一年ごとに成長してゆきました。
 このゆずの木保育園が2010年度に園舎建て替えが決まりました。

Posted by たもがみ 節子 at 11時00分   この記事のURL   コメント ( 0 )

2010年02月08日(月)

ゆずの木保育園 園舎建て替えに思う そのU [保育問題]

画像(180x135)・拡大画像(640x480)

 1975年4月1日 社会福祉法人ゆずの木保育園は誕生しました。当初は、子ども42名職員6名で深谷のさくら・さくらんぼ保育園から園長の私と主任保母の飯塚さん、そして採用が決まっていた金井さんと3名で、その他は寄居町から子どもを預けていた親のなかから採用になりました。
 園舎も農業委員会から農地転用が遅れたこともあり、100%の完成にはならず、半分出来上がった園舎での保育が始まったのです。園舎の完成は、6月26日でした。
 保守的な農村部で、地域のみなさんの信頼を得ていくにはどうしたらいいのか。保護者のみなさんに「全面発達をさせる保育とは」等々理解してもらうためにはどうしたらいいのかをよく職員会議で話し合いました。
 開始当初から障害のある子どもも受け入れることを決めていましたので、勉強、勉強と深谷市のさくら・さくらんぼ保育園を中心に行われた研究会、学習会には、日夜を問わず出かけました。また、保育園の行事のたびに地域のみなさんを招待して、保育園を身近に感じてもらう努力もしました。

この続きは次回へ、

Posted by たもがみ 節子 at 05時32分   この記事のURL   コメント ( 0 )

2010年02月06日(土)

ゆずの木保育園 園舎建替えに思う そのT [保育問題]

画像(180x135)・拡大画像(640x480)

 35年前、「寄居町にもさくら、さくらんぼ保育園のような保育園がほしい」という子育てに関心のある多くの方の思いが、幾多の困難をも乗り越えて、「ゆずの木保育園」が誕生しました。
 保育園建設の中心になる園長に白羽の矢が私に向けられました。当時30才を過ぎて間もない私は、5才、3才、0才の子育て真っ只中で、さくら保育園の園長代理として働いていました。一日働いていたのでは、保育園づくりは進みません。半日(午前中)保育園で働き、午後は保育園づくりの書類、地域、役場との話し合いに当てる月日は半年くらいになりました。
 深谷市の勤務地から寄居町の建設地域へと毎日往復したものです。夜の会議では、三人の子どもを預かってもらって会議が終わると自分の車に乗せて帰宅、夜11時過ぎることがほとんどでした。次の日は、半日保育所勤務で朝8時には出勤です。夫は仕事の関係で保育園づくりには、ほとんどかかわっていませんでしたので、家庭の協力は得られながらも一人でやるしかありませんでした。
 今思うと本当によくやったなーと思います。途中で投げ出すことなど考えている暇も、余裕もありませんでした。ひたすら「寄居町に障害をもってでも、子どもを産んでも女性が働き続けることのできる、産休明け43日目から安心して預けられ、子ども達の全面的な発達が保障される保育園をつくりたい」と走ったことが昨日のように思い出されます。そこでの園長20年も又、試練続きでした。

 このつづき 「そのU」は次回へ

Posted by たもがみ 節子 at 05時11分   この記事のURL   コメント ( 0 )

2009年11月03日(火)

保育制度を変える動き 重大だと思います [保育問題]

画像(180x135)・拡大画像(640x480)

菊の花

 少子化が進む一方で保育所に預けて働きたい親は、増えています。
 政府は保育所に入所できない待機児の解消のために、保育ママを増やしたり、認定子ども園を許可したりといろいろなことをやって来ました。そした今、地方分権の名のもとに各地方で自由に子ども達を預かれるようにと「保育所最低基準の改悪」を考えています。
 保育所は、戦後の混乱期に日本が再興してゆくのに子どもを守ること、育てることに国は力を入れ、保育所措置制度をつくりました。
 今も全国に同じような条件で子ども達が保育所で生活できる基礎をつくったのです。国民皆保険と同じようにアメリカにはない制度です。戦後60年以上たっても最低基準は大きく変ってはいません。乳児3人に一人の保育士、1才、2才児6人に一人の保育士、3才児20人に一人の保育士、4才5才児30人に一人の保育士と外国に比べればとてもひどい状況ですが最低の基準があります。
 また子ども一人に対する部屋の広さ、庭の広さも子ども達が一日生活する上で最低のものです。これ以上悪くなると子ども達の生命の保障がなくなります。
 現在定員60人の保育所に80人の子どもたちが入所していることは、預かる側も預けられている子ども達も、良い環境の中で保育されてはいません。
 しかし、保育所がたらない状況の中ではやむをえないところですが、本来の姿ではありません。
 公的保育所を増やして一日も早い解決が必要なとこるです。ところが国は、お金がかかるのでそれをやらずに、最低である基準をなくして、地方自治体に任せる。地方が独自にやりやすい方法を考えても良いということにすることで、待機児童の解消を計ろうとしています。 絶対に許せません。
 未来を担う子ども達は、健康で文化的な最低限度の生活が公的責任で保障されるという憲法の精神を生かしてこそ、子どもたちの生きる権利や、健やかな成長が保障されるのではないでしょうか。
 人は愛情をもって育てられなければ、人を愛することもできません。「三つ子の魂百までも」といいますが、充分な愛情を育てる環境は、お金がかかっても公的責任で整備することが必要です。
 今日、11月3日は全国から「最低基準を改悪しないでーーー」と東京日比谷公園で集会がもたれました。寄居町からもバスで参加しています。
 

Posted by たもがみ 節子 at 18時41分   この記事のURL   コメント ( 0 )

過去の記事へ

ページのトップへ ページのトップへ

プロフィール

たもがみ 節子

日本共産党 寄居町議会議員

たもがみ 節子

PHOTO

寄居町駅伝大会にのぞみ応援

寄居町駅伝大会にのぞみ応援

東京で第59回の全国母親大会が開催されました

東京で第59回の全国母親大会が開催されました

2月7日の鉛流失問題──その後

2月7日の鉛流失問題──その後

検索


上記の検索結果のRSS情報です RSS1.0

カテゴリーリスト

最近の記事

最近のコメント

リンク集

[ 国会議員・国政候補者 ]

[ 党機関・議員(団) ]

[ 寄居町内のホームページ ]

RSS1.0

powered by a-blog

[Login]


Copyright (C) 2006-2017 Tamogami Setsuko All rights reserved.