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2011年06月03日(金)

ゆずの木保育園園舎建設竣工式によせて [保育問題]

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東秩父高原牧場のポピー

 私が保育専門学校の二年生の時、深谷市のさくら保育園の園長だった斉藤公子さんの講演を聞いて心踊り、夏休みに四泊五日間実習させてもらい、保育士のイメージが一変し「保息によって子どもたちは変る」ことを実感しました。
 そして「保育士としてここで働きたい」との思いを強め手紙を書き、「給料はいくらでもいいから保育士にしてください」と飛び込み12年が経過しました。
 当時は「ポストの数ほど保育所を!」と高度経済成長期と合い間って、先輩の保育士のみなさんは「さくら保育園のような保育園がわが町にでも欲しい」という要望に応え園長として出て行っていました。そうした中で私は、若輩ながらさくら保育園で園長代理をしていました。
 隣の寄居町から当時季節保育所から保育園となったさくらんぼ保育園に13名の子どもたちが通っていました。ところが深谷市の子どもたちも入園を待っていましたので、「寄居町の子ども達は預かれない、自分達の所で保育所を作りなさい」ということで保育所づくりが始まりました。
 私は0才、3才、5才児を抱えての園長の職務は、職員をはじめ、多くのみなさんのご努力によって支えられて始めました。
 1975年4月現在の地に「ゆずの木保育園」は誕生しました。それから35年が経過し、園長も4代目となりましたが、園舎の建て替えが行われ、6月5日(日)に竣工式を迎えることになりました。
 「さくら・さくらんぼの保育」を寄居町で実践してゆくことは非常に大変なことでした。近所から保育園に入園する子どもはほんの僅か。「共産党の保育園」と言われていたようです。保育園の園児も職員も、日本一素晴しい自然環境の中で、リズムと散歩と手作りの給食で毎日毎日を満喫した生活でした。当初から障害のある子どもも一緒に生活し、一緒に育ててきました。
 私達の保育方針に保護者のみなさんもとても協力してくれ、子ども達はのびのびと子どもの可能性を発揮してくれ、保育士も負けじと研究学習を積み重ねたことが昨日のように思われます。

 私は20年間園長として手探りをしながら園の方針である4つの目標@子ども達の全面発達の保障、A職員会、保護者会、後援会、理事会で一体となった民主的運営、B地域のみなさんとの協力、C民主的運動に協力共同で行うことを実施して来ました。
 その後、私は町の議会議員として16年が経過しましたが、32年間の保育の仕事は私の生き方の原点であります。
 エミールの中でルソーは、「農婦のように働き、哲学者のように考える」ことを強調したています。斉藤公子さんの好きな言葉でもありますが、私も好きです。
 いま、ゆずの木保育園には卒園生が親となって子どもを預けている人たちも出て来ています。いつの世も保育園では子どもが主人公で生活できる保育園がこれからも引き継がれて、より発展して行くことを心より祈念いたします。 
 

Posted by たもがみ 節子 at 11時22分   コメント ( 0 )

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