2009年04月02日(木)
4月1日に 母を思う [家族のこと]
私の母は、4月1日生まれ、今から20年も前に73歳の誕生日を迎えた次の月、5月1日に他界しました。
母は、6人兄妹の4番目に生まれました。貧しい生活の中で兄妹思いで、雪の降る日、弟2人には自分は素足でも下駄などを用意したと、良く聞かされました。
私が一番印象に残っているのは、母が働くことが何よりも好きだったことです。私は妹と二人姉妹ですが、父は12人兄弟で三男です。兄二人が家を出たため父が後継ぎになりました。
古い田舎の格式のある家の新宅ということもあり、姑には大変苦労したようです。母の仕事は、もっぱら農作業だったようです。子ども(私達姉妹)は祖母に育てられたようなものです。父はと言うと三男坊ということもあってか、若いときは外交員をしたり気楽にしていたようです。祖父が精米所をやっていたこともあり、お金の心配はしなかったようです。 働くことが大好きであった母は、祖父が亡くなり農業に益々力を入れ、一反一反と田畑を増やしてゆくのが楽しかったようです。
私は、長女と言う事もあり、小学校四年生には、農繁期ともなれば、朝4時に起きて、田んぼの苗取りは学校へ行く前の仕事でした。学校から帰ってくれば、星が出る頃まで田んぼで働きました。
父が農休みに買ってくれる浴衣やカンタン服を楽しみに働いたものです。母は草むしりをはじめ仕事が丁寧でキチンとしていないと気が済まない人でしたが、父はその反対でした。
私は、母に仕事面では似ていたようです。我が家は父が財布を握っていたので、母に買ってもらうものはほとんどありませんでした。
私は20歳で家を出て、群馬から埼玉の深谷市に来て保育士として働きました。家族の反対を押し切って来たこともあり、実家を金銭面でも精神面でも頼らないと決め、歯をくいしばったこともあます。
良い仲間との出会いは、毎日毎日が楽しく有意義でした。孫を連れて帰るといつも母は、孫の世話をしてくれ、私を「ゆっくり寝かせてくれました」「泥のように寝ている」とよく言われました。
私も3人の子どもの母となり娘に、私も母のようにしてあげたいという思いがあるのに娘は、忙しい私を気遣って心配させないように頑張っています。
母の一生は幸せだってのだろうかと思う。
Posted by たもがみ 節子 at 05時23分 コメント ( 0 )